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  • 執筆者の写真須賀雅子

55「快挙と感慨」

快挙です!ゴジラシリーズ最新映画「ゴジラ −1.0」の全米興行収入が1436万ドル

(約21億円)を突破し、米国で公開された歴代邦画実写作品として興行第1位に浮上しました。これまで1位だった「子猫物語」の1329万ドルを超え、34年ぶりの記録更新となったのです。

 この映画は私の最近のイチオシ作品で、会う人ごとにお勧めしています。

映画を見終わってからすぐ立ち寄った服飾店でも若い女性定員さんに「良い映画だから絶対に見て欲しい」と強く勧めたほどです。

「ゴジラ −1.0」は、終戦直後を舞台に、敗戦で無(ゼロ)になった日本が、ゴジラの脅威により負(マイナス)に叩き落とされる物語です。

元特攻隊の主人公が「生き延びてしまった苦しみ」を抱えている時に、ビキニ環礁での米軍の核実験で被曝したゴジラと出会ってしまうのです。

「生きて、抗え」これはこの作品のキャッチコピーです。

私にとってこの映画は、反戦映画としてだけでなく「民間人」が考え、行動してゆく重要性を強く感じさせてくれる「反省映画」として心に残りました。

 

 さらに、私がゴジラ映画に心寄せてしまうのは、ある方との出会いと別れがあったからなのです。

2014年8月。知人からイベントの司会の依頼がありました。

それは、ゴジラ誕生60周年を記念する「大ゴジラ特撮展」という池袋サンシャインで行われるトークショウでの司会でした。

お話を伺うのは、このイベントを監修した川北紘一特技監督でした。

川北監督と言えば「平成ゴジラVSシリーズ」全6作の特技監督を務め、ゴジラファンにとっては知らない人はいない日本を代表する特撮映画の第一人者ということでしたが……。当時の私の認識は実に乏しかったのです。

相手のことを知らずに、用意された質問をするだけでは失礼ですので、本番当日まで必死に勉強しました。

ゴジラの歴史、特撮、川北紘一監督のプロフィールなど、現在でもその膨大な資料が残っています。

そして、いよいよ本番の日。

控室でスタッフに聞かされたのは「川北監督はあまり喋らない人なんですよね」という不安になる言葉でしたが、インタビュアーとしては奮起する言葉でもありました。確かに川北監督は自ら進んでお話をされる方ではありませんでしたが、私が勉強してきたことを察知してくださり、予想以上に楽しいインタビューのひと時となりました。その中でひときわ心に残っているのは、「川北監督はゴジラを愛していらっしゃるのですね」という私の投げかけに、「はい、愛しています」と答えて下さったときの川北監督の目の優しさです。

 

その後、川北監督は新宿歌舞伎町のビルから顔を出す実物大ゴジラ頭部像の監修を担当したり、大阪芸術大学の客員教授として学生たちと映像制作をしていらっしゃいましたが、2014年12月5日、ご病気で亡くなられました。72歳でした。

 

ほんの4ヶ月前には、愛しい我が子を自慢するように「大ゴジラ特撮展」を嬉しそうに案内して下さったのに……。私の心を占めていたのは驚きでした。

そして数日後、さらに驚きをもたらしたのは、「川北紘一監督お別れの会」の司会を依頼されたことでした。

「川北監督は須賀さんの仕事ぶりをとても気に入っていたんです。川北監督の最後のイベントの司会は、やはり須賀さんにお願いしたい。川北監督も喜ぶでしょうから」

思いがけない、そして嬉しくも寂しいご依頼でした。

私は川北監督のお墓参りをさせて頂き、川北監督最後のイベントに臨みました。

場所は成城にある東宝スタジオ第6ステージ。

建物自体は新しくなっていますが、この場所には川北監督の映像制作にかける思いが染み込んでいるようでした。

ゴジラ映画は、大きなセットを組んだ特撮から、最先端技術のCG制作へと様変わりしています。しかし川北監督たち先人と同じように「ゴジラ愛」は脈々と受け継がれていると信じたいのです。

 

米国からもたらされた快挙の知らせを聞いて、川北監督なら、こんなふうに言うような気がします。

「おぉ〜やったな!俺とはやり方が違うが、いいゴジラだった。これからもアイツに愛情かけてくれよ。頼んだぞ」

 



 

メッセージ、お待ちしております。



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