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  • 執筆者の写真須賀雅子

㉛「物語を紡ぎ、語る」

 「生涯で初めての小説」

新聞広告に記されたこの言葉に引き寄せられ、新潮社の小説講座に通い始めたのは10年程前のことでした。

「生涯で初めて」という言葉が、私を優しく誘ってくれているようで、この講座は私の為に開講してくれるのだとさえ感じたのです。ですから、悩むことなく、すぐさま電話で申し込みをし1期生になりました。

 その数ヶ月前、朗読を学び直したいと思い、朗読教室にも通い始めていましたので、齢50にして「生徒」としての生活が始まったわけです。

 何故、小説講座にまで通うようになったのかと言いますと、朗読する作品の選択に戸惑っていたのです。朗読の内容だけでなく、朗読に適した長さ、そして朗読会の場合、著作権料も配慮しなくてはなりません。

そのようなことを考えながら本屋さんを歩き回っていた時、ある考えが浮かんできたのです。

「自分で書いて自分で朗読したいなぁ!」

その翌日、「生涯で初めての小説」という新聞広告が私の目に飛び込んできましたので、大げさかもしれませんが運命を感じてしまったのです。

 小説講座では多くのことを学びました。

頻繁に使われている手垢の付いた表現は疑ってみる、絵画的な文章力を意識する、小説は人間の内情を表現するものだなど、私の心の中に小説の柱が立ってゆきました。

 私にとって小説を書くというのは、出産のようでした。

はじめにテーマを決めると、それは常に私の中に存在していて、アイディアが浮かぶごとに少しずつ育まれていくのです。しかし難産でなかなか産み出せない時もありますが、書き終わった時の感覚は愛しい我が子を初めて抱いた時のようなのです。

「Mako’s話し方サロン」を始めてから毎年、朗読会を開いています。

その時に、拙い作品ですが私が書いた小説も聴いていただいています。

3回目の今年は、私にとって思い出深い作品に致しました。

「届かぬ想い〜津軽三味線・白川軍八郎物語」

これは、津軽三味線の神様と言われた人の人生に寄り添って書いたものです。

浅草で行っていた朗読イベントで披露した際、青森の津軽三味線会館の方がいらしていて、青森でも朗読して欲しいとご依頼を頂いたのです。

冷たい雪に迎えられた青森での朗読イベントでしたが、地元の方々の温かさに包まれて、実に思い出深い巡業となりました。

 今年の朗読会はコロナ禍にあり、開催すべきか悩んでおりましたが、周りの方々から「続けるべきだ」と背中を押していただき、前に進むことに致しました。

今回ご紹介する白川軍八郎の人生は、私に「芸に生きる力強さ」を示してくれました。ですから、白川軍八郎にも背中を押してもらい朗読会に臨みます。



メッセージ、お待ちしております。

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