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  • 執筆者の写真須賀雅子

㉜「あたりまえ」と「ありがたい」

 「ありがたい」これは私が好きな言葉です。

漢字で表記すると「有り難い」となり、「有ることが難しい」ということで、めったにないことを言います。これは仏教の教えの中で、人間として生まれることは難しいことであるから、それを喜び感謝するべきだと説いているそうです。

 この言葉の深さを改めて感じているのが今です。コロナ禍にある今なのです。

これまで「あたりまえ」だったことに規制がかかり出来なくなりました。

その中で私の心を痛めたのは、舞台公演の中止でした。

私には舞台に携わる知人や友人がいます。ひとつの舞台を作り上げるのに、多くの人が多くの時間をかけています。その陰の努力と苦労が、お客様に観ていただけることによって、初めて報われるのです。

しかし今回、お客様の拍手を受けることなく、負債だけが残った制作現場が数多くあったようです。

 私は今年、ある舞台を観に行くことを心待ちにしておりました。

前年の初演が好評で再演されると知り、演者たちの更なる進化に期待しながら

「あたりまえ」にその日を待っていたのです。けれどもコロナ対策として制作側が決断したのは、無観客配信でした。

約1000人分の座席には、お客様は一人もいません。配信動画から聞こえてくる演者の台詞は前回と同じ内容ですが、響きが違うのです。劇場を包み込むお客様に吸い込まれることなく、寂しい響きが劇場内を漂っているように感じられました。

私も朗読会だけでなく朗読劇にも出演させて頂いた経験があるので、舞台の上だけでなく観客席と一体になって作り上げられる感覚を知っています。舞台は生ものです。お客様の反応を感じながら出来上がってゆくのです。ですから演者は緊張感の中、喜びを感じられるのだと思います。

 これまでとは違った形での表現を余儀なくされた演者たちの心の内を察すると辛くなりましたが、それでも舞台に立てたことに、これまで以上に「ありがたい」という気持ちになったようです。

 このようなことに心動かされながら、私が一年に一度おこなってきた朗読会の時期が迫ってきました。

本当に悩みました。このような状況でおこなっても良いのだろうかと。しかし、周りの方たちが「続けるべきだよ」と背中を押してくださいました。そして、無観客であっても、一層心を込めて舞台に立っていた若者たちの姿によって、私の心のエンジンが発動したようでした。

 今年の朗読会は開催できるだけで幸せなことだと思っておりましたが、例年以上に多くの方々が、お心を寄せ足を運んで下さいました。舞台の上から拝見したお客様の温かい眼差しは、「あたりまえ」ではなく、実に

「ありがたい」ものでした。





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