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  • 執筆者の写真須賀雅子

⑥「私の師匠」

更新日:2018年11月19日

 先日、「Mako’s 話し方サロン」で声に出して読んで頂く作品を探しました。

本棚を見つめていると、一番多くの場所を占めている「私の師匠」の本たちが微笑みかけているようで、一冊一冊を手に取りました。

 「私の師匠」とは、向田邦子さんのことです。

向田さんは、私に文章を紡ぎ出すことの喜びを教えて下さった作家です。

初めて向田さんの作品に触れたのは、私がアナウンサー試験に挑むために、作文の訓練を受けている頃でした。魅力的な文章から刺激を受けようと書店に足を踏み入れた時、何気なく手にしたのが向田邦子さんの本だったのです。

 家に帰り読み始めると、向田さんの日常生活に向けた観察力と表現力に心を掴まれてしまい、すぐ隣に向田さんの体温が感じられるような感覚になりました。

ですから、また向田邦子さんに会いたいという一心で、向田さんの作品を買いあさってしまいました。

しかし……向田邦子さんは既に、台湾での飛行機事故によって命を失っていました。会いたくても会えない……。

そこで私は、せめて向田さんのお墓参りをしたいと考え、無謀な行動に出たのです。現在では有名人のお墓を教えるサイトなどがありますが、あの時の私は、向田邦子さんの妹さんに電話をしてしまったのです。

 当時、赤坂には「ままや」という向田邦子さんが開いた飲食店があり、お姉さんが亡くなった後も妹の向田和子さんが営業されていました。

若さゆえの勢いだったのでしょうか、今思い返すと恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。

 私は電話で、向田邦子さんへの思いを熱く語りました。和子さんは突然電話をかけてきた見知らぬ女子学生の話を優しく受け止めて下さいました。そして、向田邦子さんのお墓を教えてほしいという私に、柔らかい口調で答えて下さったのです。

「それ程までに姉のことを想ってくれて、ありがとう。でもね、姉は、『死んだらおしまい、生きているうちが花』って常々言っていた人なの。だから、お墓参りする時間をあなた自身の大切なことに使ってくださいね」

 この和子さんの言葉を受けて、「ままや」のある赤坂、TBSのアナウンサーになるんだという強い気持ちが持てるようになったのです。

そして夢だったTBSのアナウンサーになれたのは向田邦子さんの応援を受けたお陰だと勝手に信じております。

 あれから長い年月が流れ、今、私は小説講座に通いながら自分で朗読する作品を紡ぎ出すことに力を注いでいます。しかし簡単に書き上げられず足踏み状態です。こんな時こそ「私の師匠」の言葉を思い出さねば!と自分自身を戒めています。

 「やりたい事があるなら、今!やらねば!ですよね。生きているうちが花なんですから。そうですよね?師匠!」



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