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㉞「節目の年」

執筆者の写真: 須賀雅子須賀雅子

「3回目の成人式をして盛り上がろう!」

こんな言葉を言い合いながら、同級生たちと迎えようとしていたのが2020年でした。私たちにとっては大きな節目の年だったのです。しかし、コロナウイルスという目に見えぬ敵が現れ、節目の年にみんなと盛り上がるどころか、会うことすら出来ませんでした。

 本日は2021年の「成人の日」

 「成人式」は冠婚葬祭の「冠」にあたるのですね。成人になることが、どれだけ重要視されていたことかが分かります。

「成人式」の歴史を辿ってゆくと、奈良時代以降、数え歳で12~16歳の男の子が行った「元服」という儀式が成人式にあたります。

 女の子の場合は、「裳(も)」という、腰から下にまとう衣服をを身につける儀式「裳着」を12~16歳で執り行ったそうです。

 これらは上流階級のしきたりでしたが、庶民には地域によって様々な成人式があったようです。「一人で鹿を狩れるようになったら一人前」「米俵を一人で運べるようになったら大人」というような通過儀礼が多数存在していたのです。

「庶民の成人式」には大人として生き抜いてゆくための力強さが感じられます。

 現在と同じ20歳で成人式が行われるようになったのは、第二次世界大戦敗戦の翌年だそうです。

地域の新成人が一堂に会して行う成人式の発祥は、昭和21年、埼玉県の蕨で開催された「青年祭」だと言われています。当時は国全体が敗戦による混乱と虚脱感で明日への希望が見出せずにいたそうです。そうしたなか、蕨町青年団が中心となり、次代を担う若者たちを勇気づけ励まそうと「青年祭」を企画し、その催しの幕開けとして行われたのが「成年式」だったのです。

「成年式」では、町長や来賓の激励に若者たちも誓いの言葉で応え、式典後には、文化展覧会や芸能大会、物々交換といった催しが行われたそうです。そして、お汁粉や芋菓子がふるまわれ、おおいに喜ばれたようです。

こうして、青年たちの心に再び明かりをともした「成年式」の意義が評価され、昭和23年に国民の祝日として「成人の日」が制定されることになるのです。

蕨市では現在でも「成年式」という名で式典を執り行っています。

それは「青年祭」発祥の地としての誇りから、その名称を引き継いで、「青年」を「成年」として使っているそうです。

 コロナ禍にある今年、蕨市は「成年式」を中止ではなく、延期にしました。

蕨市市長のメッセージが出されましたが、決断に至る苦悩が伝わってきました。

そのメッセージで私が強く惹きつけられた言葉をご紹介します。

『新成人の皆さんは、コロナ禍の中で、仲間と触れ合えないことや収入の減少、将来への不安など、いろいろ大変なことがあると思います。今回の成年式延期も、その一つだと思います。しかし、ぜひ、この困難を乗り越え、あの経験があったから、その後の人生がより充実したものになったと振り返ることが出来るよう、頑張って欲しいと願っています。成年式発祥の地である蕨は、いつまでも若い皆さんを応援する町です。』

 昭和21年に蕨の人々が次代を担う若者たちを勇気づけた思いを私も強く持っています。

「節目の年」新成人の皆さんが前向きに大切に過ごしてゆかれますように!

そして、若者たちを見守る私たちも!


メッセージ、お待ちしております。

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